





銀塩らしさを考えるときに、現像ムラやゴミ・ホコリのあるプリントがかえってものとして
のリアリティーを高めているのではないかと最近思うようになった。
写真=銀塩の時代には、それは単なる技術のなさの露呈だったのだが、綺麗な画像
が当たり前のデジが出現するにいたって、その差別化の一つとして、手の痕跡の現わ
れとして、現像ムラやゴミ・ホコリなんかもありかもしれない。
ホコリやカビが結構ついた写真で、写真集を作った田中長徳なんかそこら辺のことを
かなり認識しているのかもしれない。
業界の仕掛け人の面とは別に、日本屈指の現代写真のプロパー、写真の目効きのは
ずだから。
ついでに書いておくと、彼がマジで現代写真評論とかやったら、その辺の評論家なんか
とても太刀打ちできないような凄いものが書けるはずだ。
まぁ、そんな野暮なことはやらないだろうけれども。ちょっと惜しい気がする。